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無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社ライブラリー (150))
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| ジャンル: | 歴史,日本史,西洋史,世界史
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東西の個人と社会そして「自由・平等・平和」の成り立ち
自分のなかに歴史をよむ (ちくま文庫 あ 4-3) は著者がヨーロッパ社会に興味を持ち、西洋中世史を志すようになった経緯をとおして、ヨーロッパ中世史を人間関係の変化から読み解いています。たとえば、なぜ自然科学や資本主義がヨーロッパに誕生し、発達したか。二つの宇宙(ミクロコスモス、マクロコスモス)の章では、なぜ中世人たちは、占星術を深く信じていたかや、神殿をめぐって「アジ?ル(避難所)」が語られます。唐突ですが、高校生が発した質問「鎌倉以降天皇の力が弱くなりながらもなぜ現代まで存続できたのか。」「なぜ、平安末、鎌倉という時代に優れた宗教家が多く現れたのか。」という問題に答えようとして、網野善彦は日本中世のアジ―ルについて「無縁・公界・楽(平凡社)」を書いたわけですが、この大きな質問は、この「無縁」原理がキリスト教会によって制度化され、ヨーロッパにのみ、なぜ自由・平等・平和の思想が生み出されたかということにつながっていきます。さて、人間関係といえば、人間と人間のあらゆる関係の総体を社会(society) と呼びますが、阿部氏は日本にはヨーロッパ社会と異質の、「世間」があることを指摘しました「「世間」とは何か(講談社) 」。日本の学者の大多数が日本社会を「社会」という言葉で論ずるとき、実際の日本社会「世間」とのずれを全く理解していないことを指摘しました。また、社会は、個人から成り立っていますが、日本おける個人のあり方とヨーロッパにおける個人のあり方は根本的に異なっています。ミッシェル・フーコーが指摘しているようにヨーロッパにおける「個人」の成立にカトリックの「告解」が深くかかわっていますが、阿部氏は、さらに中世人が告解をとおして「男と女の関係の問題」を「自覚」する中に個人の誕生を見たのです。(「西洋中世の男と女」筑摩書房)。
「日本の歴史をよみなおす」のほうが上かな?
この本は、1970年代半ばに書かれた、日本の中世史に関する基本文献です。1970年代の出版後、素人には大変喜ばれ、研究者には異端視されたというこの本は、現在でもその生命力を保ち、安富歩氏の最近の研究にも影響をおよぼしています。
戦国時代にあって、主従関係、親族関係等々の世俗から離れていて、一応の権力からの「自由」を確保し、通行の自由、主従関係・貸借関係から離れた一種の「理想郷」として網野氏により描かれている「無縁」「公界」「楽」は、漁民、「芸能」を持つ職業人、僧侶などによって構成されているものであり、それは古代ヨーロッパのアジールと同様な性格のものだと説明されています。アジールとは、罪人のアジール、外国人のアジール、奴隷のアジールなど避難所的なものでしたが、のちに実利的なものになってゆくものです。
日本の場合、縁切寺、宿、神社仏閣、自由都市、楽市楽座、被差別部落、墓所、倉庫などの場所で、延々として、脈々として、この「自由」と「平等」が受け継がれていきたと網野氏は捉えます。金融もそうした場所で行われてきたと説いています。
私は昭和30年代に、半農半漁の地で育ったのでよくわかるのですが、農業の地主対小作人の絶対的格差に比べて、漁業を営んでいる人々は相対的に豊かでした。また、近くの朝市なども栄えていたものです。もちろん農民も牧歌的ですから、苛斂誅求に苦しむばかりではなかったでしょうが、これまで、素朴だけれども多様で豊かな日本社会像が学校教育では苛斂誅求の封建的な社会と暗く描かれてきたのは事実ですし、網野氏のこの本がそうした公式的な見方を打ち破ったのも事実でしょう。
網野史学の出発点
本格的な歴史の学術書。「日本の歴史をよみなおす」や「蒙古襲来」といった啓蒙書とは一線を画すものがある。つまり、記述の根拠となる資料を示して、その著者による読解を通じて結論を示す、というスタイルなので、分かりやすさや通俗的面白さを期待してはいけない。 内容は、平泉澄が先鞭をつけたが、途中で研究を放棄してしまった、日本における「アジール」の研究である。著者は、日本においては寺や市場、自治組織などに法の及ばない「アジール」が存在したことを各種資料を駆使して示そうとする。 この指摘は、暗黒の時代のように考えられている中世において、むしろ江戸期よりも庶民には権力に対する抵抗の自由があったことを示唆していて興味深い。しかし、それは一方で俗界からの「無縁」を条件とする厳しいものでもあった。 よく知られているように、この「為政者に抗して自由を求める『道々の者』をテーマに小説を描いたのが隆慶一郎である。その点、痛快な歴史小説を生み出す原動力になったことは評価できる。また、この書物でははっきりとは打ち出されていないが、「無縁」を天皇とダイレクトに結びつける視点を後年の網野氏は打ち出し、それがかたちを変えた天皇崇拝ではないか、と一部からは批判された。 いずれにせよ、本書は大変独創的な網野史学の原点であることは間違いない。必読の歴史書である。
民俗の歴史学は本書で始まった
惜しくも、物故された歴史学者、網野善彦氏の網野歴史学とでもいうべき史学の代表作である。日本でも欧州でも中世は宗教の支配する暗黒の時代と認識されていたが、本書によって、網野氏は日本の中世の封建時代の中の農民や武士以外の人々の生活を克明に調べ上げ、駆け込み寺に代表されるような、当時の体制から、切り離された自由の空間があった事を指摘する。本書によって日本の歴史学も、支配階級・制度の闘争と変遷から庶民の暮らしが研究の対象として切り拓かれていった。柳田国男が民俗学を作ったように、網野氏は民俗歴史学を作り上げたのだと思う。
日本中世の自由とは何か
網野善彦といえば、まず「無縁・公界・楽」が挙げられるという網野氏の代表作。 網野史学を理解するなら、まずこの本を読まねばならない。 網野氏の専門は中世史であるが、この本は中世のみに留まらず、未開社会から 近世までを倒叙的に叙述してある。また、その問題関心は網野氏自身「風呂敷」 と称したように幅広い。その起点は「自由」である。 西洋近代の言う「自由」とは異なる意味において、日本中世に「自由」が成立 したとする。しかしながら、そこには「平等」ではない「階級」が存在したと している。近年の矮小な「差別論」など、たちまち崩壊するであろう。 また、「二十二章 未開社会のアジール」では、アジール(避暑地、または避難所 と訳される)論を未開社会に広げて適用することを提起する。もともと、アジール 論は平泉澄が主張したものである。「皇国史観」でもって否定されこそすれ、 正当に論証されてこなかった平泉を正当に批判したことに、この章の意義がある。
平凡社
異形の王権 (平凡社ライブラリー) 日本中世の百姓と職能民 (平凡社ライブラリー) 中世の非人と遊女 (講談社学術文庫) 中世再考 (講談社学術文庫) 蒙古襲来―転換する社会 (小学館文庫)
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